2015年10月16日金曜日

橘家圓蔵師匠が逝く


六代目橘屋圓蔵師匠が、亡くなりました。81歳。 落語に詳しくない方でも、笑点の月の家円鏡師匠といえば、イメージが湧くはずです。

メガネをかけて高座に上がる噺家は、40年前は珍しい存在でした。 落語は、一人芸ながら、目線や目の表情でも、立体感のある、奥深い伝統話芸のひとつです。ですから、メガネをしての高座は当時としては異例でした。

でも賑やかでしたね、「ウチのセツコ」「セツコ」と愛妻の名前を連呼する、師匠でしたが、愛妻の節子夫人は5年前の逝かれています。

kazanが円鏡師匠の高座を見たのは、東京銀座のヤマハホールで毎月開催されていた、「東京落語会」の例会であったと思います。 当時テレビの「笑点」のレギュラーでしたので、「おお、この人か」と思いながら少々前かがみ、背中丸めて登場する姿が印象的でした。

同世代に、古今亭志ん朝、立川談志両師匠がおりましたが、いずれも鬼籍の人、三途の川の対岸で、賑やかなお二かたの師匠の出迎に。  少々顎を斜め前につき出した愛嬌のある顔で「おまたせ~♫」なんて言っているかもしれません。 口の悪い談志師匠に、「お手前は、新参もの故、今しばらくは前座で修行を」なんて、冗談を言われているかもしれません。
 
今日の夜は、 高雄でいつもの「Whyte & Makay」の台湾ブランドのOEMスコッチを舐めながら、日本で収録した「火焔太鼓」でも聞いてみよう。

愛妻の節子夫人もいる彼岸はますます、賑々しくなりそうです。 ご冥福をお祈りもうしあげます (合掌)


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